江戸時代末期、信楽町東出(現在の信楽駅の東側)谷清右衛門(初代)によって開窯される。現在の穴窯は昭和四十五年、先代と当代の谷清右衛門により信楽町長野に築窯される。
昭和五十七年には中世信楽の古窯調査をもとに双胴式穴窯を築窯する。当代の谷清右衛門(一苔)は「古信楽」を収集し古陶資料館を開設する。一般にも公開し、古陶の魅力を伝える。
平成七年に大英博物館(イギリス)に大壷と大皿がコレクションされる当代の谷清右衛門(一苔)は平成十一年、信楽焼伝統工芸士認定。
谷穹は新たに双胴式穴窯、半地下式穴窯を築き研究。
平成二十六年には大壷がポートランド美術館(アメリカ)にコレクションされる。
清右衛門窯
双胴窯
昭和五十七年 築窯(双胴式穴窯)
中井出窯跡をもとに設計
(滋賀県甲賀市信楽町宮町中井出にある室町時代末期の窯跡で、焼成部の中央に分炎壁をもつ当時信楽では主流であった双胴式穴窯といわれるもの。)